歴史:1976 – 1985(ブルックリン時代)

SPECTORの歴史:1976 – 1985(ブルックリン時代)

~「インスピレーションは思いもよらぬところから」~

 

「1974年のある日、友人のマイク・クロップの部屋でのことだよ…マイクは素晴らしいバンジョー弾きなんだけれども、そんな彼が戦前のGibsonのhearts & flowersインレイのMastertoneフラットヘッドバンジョーを演奏していたんだ。私はそんな彼の演奏を聴きながら、なんて見事なバンジョーだろう、と思ったんだ。彼に訊ねたところ、そのバンジョーのネックはオリジナルではなく、彼の大学の友人、キックス・スチュワートが作ったレプリカで、その当時すでにStewart-MacDonald’s Guitar Shop Supplyという店をやっているということだった。そのバンジョーのネックは、彼がほんの一週間程度で作ったもので、バスルームでスプレーを使用して塗装したって言うんだ。それを聞いて思ったよ。彼にできるなら、自分にもギターやベースが作れるはずだってね。」

~スチュワート・スペクター
(ビルダーを目指すようになったきっかけについて)

 

SPECTOR BASS™

2本目のSPECTOR BASS™
ザイン2本のうちの2本目、26フレット、ウォルナット製ピックアップカバーとDeArmondのギターピックアップ。ウォルナット製ボディにメイプル製スルーネック、エボニー指板。
©Photo Courtesy PJ Rubal
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   Gibson Mastertone  
スチュワート・スペクターがビルダーを目指すきっかけとなったバンジョーに非常によく似た1934年製 Gibson Mastertone

 

 
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その後まもなく、当時ブルックリンの共同住宅に住んでいたスチュワートは、自分専用のワークショップを設けました。「寝室の壁に作業台をボルトで固定して、工具店で工具をいくつか購入した。木材はイーストビレッジのど真ん中にあるギターパーツのH. L. Wild & Companyという店で買ったんだけど、これがまた古くからある素晴らしい店でね。店内をくまなく歩いて回れば歩き回った分だけ色々と思いがけない掘り出し物が見つかるんだ。」

 

1975年頃、ブルックリンの自宅作業場で作業するスチュワート。
 

スチュワートが楽器職人になろうと決めたのは、シンプルに、金銭的な理由からでした。「お金がなくて買えないものは、自分で作れば良いと思ったんだよ。」

当時、エレキギターやベースの作り方が記してあるような教本等は存在しませんでした。そこでスチュワートは友達の助けを借りながら、試行錯誤を繰り返して学んでいったのです。「ちょうど最初の楽器を作っている時に、隣近所で木工用のワークショップ設備を持っている人がいるって聞いてね。そんな風にして Billy Thomasと知り合って以来、彼とは親しい友人としての付き合いがずっと続いているんだ。彼は熟練の木工職人で、その上ギターもベースも弾くと聞いてね。Billyは私達がやっていることに興味を示して、私が誤って自分の手足を切り落としたりしないよう、木工作業用機器の使い方を教えてくれた。彼は代々続く木工職人の家系の3代目で、その3代の誰一人として自分の指を切り落としていないことをとても誇りに思っているんだ。」

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SPECTOR® SB-1F™©PJ Rubal

SPECTOR® SB-1F™©PJ Rubal
   
スチュワートにとって初の製品化となったモデルはSB Bass™でした。よく見ると、ルシアーとしてのスチュワートの方向性の転機となり、彼の小さな会社に想像を超えた知名度をもたらすこととなったベース、NB Bass™に採用されたホーンの原型をこのモデルに見出すことが出来ます。

 

 

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1975年頃、ブルックリンの共同作業所でのスチュワートのワークスペースと作業台。
 

 

スチュワートは瞬く間に1本目のベースを完成させました。フレットレスのメイプル製ネックにパドゥークとマホガニーを使用したボディを組み合わせたものです。フレットレスにしたのは、フレット取り付けの手間が省けるから、という非常に単純な理由からでした。
そしてトーマスを始めとした仲間達が、古い工場のロフトを借りてBrooklyn Woodworkers Cooperativeを共同作業場として立ち上げた際にスチュワートもそこに間借りし、本格的な楽器制作を開始することとなったのです。

 

「しばらくして、勇気を振り絞って48thストリートのGracin & Towne Musicに自分の作ったベースを見て貰いに行ったら、『いいね、これなら売れるよ』と言って $450をその場で手渡してくれたんだ。」

 

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自分の作った楽器が初めて売れたことに勇気づけられ、スチュワートは元家具職人のアラン・チャーニーとの共同経営で、遂にSpector Guitar社を設立したのです。そこで彼が最初に雇ったのが当時まだ新米であったビルダー、ヴィニー・フォデラでした。

1976年、スチュワートと共同作業所の仲間たちは、木工用の機械が売りに出されると聞いてある家具工房を訪れました。「その工房のオーナーは丁度何か別の事業への移行を考えていたようでした。そんな経緯からそこでアシスタントとして働いていたネッド・スタインバーガーという男が、僕達のいた共同作業所に越してきて、そこで家具のデザインや製造をしていたんだ。やがて彼は、楽器を作ろうなんていう酔狂な集団が同じ作業所にいることに興味を惹かれたようで、『ベースのデザインなら、多分僕にもできると思う』なんて言い出した。そこで私は『そうかい、じゃあやってみてくれよ』と言ったところ、その一週間後に、今もなお作り続けられているNS Carved-Body Bass™の最初のバージョンを持ってやってきたのさ。」

NS -Bass™は、1977年の発売直後からプロミュージシャン達に愛用されました。

 

1981年頃のスチュワートと初期のNS-2™モデル。この頃からスチュワートはThumbslinger」と呼ばれるようになった
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SPECTORR NS-1™の実物大モデル ©Photo Courtesy PJ Rubal

SPECTORR NS-1™の実物大モデル ©Photo Courtesy PJ Rubal
   
1977年3月にネッド・スタインバーガーがカーブドボディのアイディアを形にするために、SB™ネックの失敗作を利用して制作したもの。ボディは数種類の木材を組み合わせて寄せ木細工のようにして作られています。デザインのコンセプトを視覚的に確認するために、このようなモデルが作られました。

 

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