歴史:1990 – 1998(SSD時代)

SPECTORの歴史:1990 – 1998 (SSD時代)
~「試行錯誤、成長、そして正しい方向へ」~

 

やがてスチュワートの元に、SPECTOR®の再開を望む人々からの声が殺到しました。中でも、最も熱心に再開に向けて働きかけていたのが、若手のベーシスト兼SPECTOR®コレクターのPJルバルでした。そしてさらにNS-Curved Body Bass™のデザイナーでもあり、その後Steinberger Sound社の経営者となったネッド・スタインバーガーを含め、スチュワートの近しい友人達も、再始動を勧めました。
THE STUART SPECTOR DESIGN® SD-4P™ BASS

THE STUART SPECTOR DESIGN® SD-4P™ BASS
©Photo Courtesy Todd Cooke

スチュワートが試験的に作りあげた新しいデザインの一つ。新たにオーダーメードのコンセプトが反映されています。スチュワートは常にプレーヤーのニーズを元に楽器をデザインしてきましたが、さらに個々のプレイヤー向けのカスタマイズも始めるようになりました。
プレイヤーのための究極のベース制作において、新しい時代の幕開けに拍車をかけたのは、プレイヤー達自身からのコメントや提案でした。
SPECTOR® JN-5 Model
へヴィメタルがミュージックシーンの主流になったことで、新たなトーンレンジと、人間工学に基づいたプレイヤーが持ちやすいデザインの追求、という新たな道がSPECTOR®に切り開かれました。この写真でMetallicaのベーシスト、ジェイソン・ニューステッドが弾いているのは、彼のシグネチャーモデルであるSIGNATURE SPECTOR® JN-5 Model。(撮影時期不明)
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Kramer社が突然の不運に襲われるまで、SPECTOR®は非常に順調な軌道に乗っているとスチュワートは感じていました。また、Kramer社の財政破綻にSPECTOR®部門は一切関与しておらず、Kramer社傘下にある期間を通じて、SPECTOR®は常に採算の取れる部門でした。そこで1990年後半、スチュワートは自分が信用できる仲間達と共に、Stuart Spector Designs, LTD.を立ち上げました。ニューヨーク州ウッドストック郊外の小さなワークショップを拠点として、スチュワートは再び本格的なギター作りに着手したのでした。

 

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PJルバルがアーティストリレーションを担当するようになり、SPECTOR®はPanteraのレックス・ブラウンなど、これまでとは違ったジャンルのプレイヤーにも使用されるようになりました。1990年代中頃、スチュワートはレックス・ブラウンのために新たにカスタムデザインのSPECTOR®ベースのラインナップを作成、彼もシグネチャーモデルを持つSPECTOR®アーティストに仲間入りしました。

そこから8年間に渡り、スチュワートは再びSPECTOR®の商標を取り戻すために裁判所で争うこととなりました。

一方、その間PJルバルは、ありとあらゆるジャンルのアーティスト達に、”NEW”SPECTOR®モデルを試して貰えるよう、積極的に働きかけました。PJのリーダーシップの下、アーティストリレーション業務が機能し始め、再びスタジオ、ステージ、ミュージックビデオで、Metallica、Pantera、Living Colour、The E-Street Bandなど、数えきれないほど多くの著名アーティスト達にSPECTOR®ベースが使用されるようになりました。

そして遂にSPECTOR®の商標を取り戻せることが確実となり、SPECTOR®はさらなる成長とモデル改良の新しい時代を迎えることとなったのです。

NS-Bass™の製造を再開できることになって、スチュワートは当時、共産主義による抑圧から解放されたばかりのチェコ共和国に工場を作りました。チェコには、技術と才能を持ったルシアー達や、高品質の楽器用木材の仕入先など、潤沢な人材と資源が揃っていたのです。

為替相場が有利に働いたこともあり、チェコのファクトリーではニューヨークと同等の高品質の楽器を、大幅なコスト削減の元、作成することに成功したのでした。

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SPECTOR® NS-Bass™の生産が行われていなかった間に、製品の需要はなぜか劇的に増加しました。これは、その間も初代Spector Guitar Company、およびKramer時代にNS-Bassを入手したプレイヤーによって、NS-Bass™のサウンドキャラクターとデザインが愛され、愛用され続けていたためでした。

近年において最も活躍したブラック・ロック・バンドとして知られる、Living Colourでプレイするだけでなく、ある時は世界で最も著名なバンドThe Rolling Stonesのビル・ワイマンの代役をも務めていたベーシスト、ダグ・ウィンビッシュも、新しいベースに手を伸ばすことなく、手持ちのSPECTOR NS-2™を愛用し続けました。

NS-Curved Body™のデザイン自体はネッド・スタインバーガーのものであり、またKramer社の所有となっていたのはモデルネームのみでした。そこで、スタインバーガーと新たに契約を結び、スチュワートはNS-Bass™の製造を開始しました。ヘッドストックのロゴを変え、新たなモデル名を付けることを余儀なくされたものでしたが、このニュースにプロ・アマ問わず数多くのプレイヤーは「やっと戻ってきてくれた!」歓喜の声をあげました。

スチュワートがこれまでに築き上げてきた優れた品質とブランドに対する信頼感から、新たなシェイプのボディを作成すれば同様に高い評価が得られることは判ってはいましたが、依然としてNS-Bass™の人気が衰えることはありませんでした。

SPECTOR®ではいくつかのニューモデルも作っていましたが、当時から変わらないNS-Bass™モデルの人気が衰えを見せることはありませんでした。ダグ・ウィンビッシュのようなアーティストがBrooklyn/Kramer期のSPECTOR®を使い続けていたことも変わらぬ人気の理由の一つでした。
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SPECTOR™の商標を取り戻したことで、スチュワートはようやく何の足枷もなく前進することができるようになりました。

 

The B.O.B.™

The B.O.B.™ (「Bolt-On Bass(ボルトオンベース)」の略から) by Stuart Spector Design
Kramer Guitars社の所有となっていたNS-Bass®デザインの法的な所有権を取り戻すことができるかどうかが分からなかったため、スチュワートは新しいデザインの作品をいくつか試験的に作り上げました。The B.O.B.™は限定商品として作られたもので、USAシリーズのBolt-On Bass® Modelsと共通の特徴が数多くみられます。  

 

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